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現代日本病

さて、手紙の内容分析を行いましょうか。

まず1段落目。
何事にも意欲的で真面目な自分のまま、大学生活を送っているものだと信じて疑わなかったのだろう。
深い自信が読み取れる。

続く2段落目では、勉強について言及。
ここに書かれている勉強とは、おそらく「人生における勉強」というような広い意味のものではない。
学問の意味で用いていると思われる。

「もし~場合は」の下りからは、いずれは息切れしてしまうかもしれない、というわずかな不安が感じられる。
そして、その時には勉強の意味を思い出せ、と書いてある。
自分なりに勉強することの意義を理解し、誇りを持っていたのだろう。

3段落目は…自分で書いておきながら何だけど、一見意味不明だな(笑)
俺、こんなこと書いたっけ?

自分のことを売りわたす?自由がなくなったら終わり?
これはあれか。譲れないと思ったことは頑として譲るな、ってことか。
結構頑固なところがあったからなあ。
大人になる中で、社会で生きて行く中で、頭を下げっぱなしの人間になってしまうことを恐れていたのかな?

ここまで色々と考えさせられる文面があったが、個人的に最も気になったのは最後の部分。
「僕も頑張って毎日を生きるので」という所。
やっぱり「頑張っている」という自覚はあったんだね。
何か泣けてくるよ…。


以上の分析をまとめるとこうなる。

昔の私は何事にも意欲的で、特に勉強面での努力が凄まじかった。
そして、そんな自分に誇りと自信を持っていた。
だが、心のどこかで自分が頑張りすぎていることを自覚し、不安を感じていた。
まあ、その不安は的中しちゃったんだけどね…。

この手紙の内容からも分かると思うが、私は昔から変わり者だった。
考えなくてもいいようなことに思いを巡らせ、常に高い理想を持ち、自らに課題を課し続けていた。
だから今、こうして苦しんでいる。

元々、素質はあったのだろう。
だが、平和で裕福な日本の環境が、それをより増幅させてしまった。
今の私は、名を付けるなら現代日本病とでも言うべきものに掛かっているのだと思う。
周りから見れば苦しむ意味さえ分からない、ある意味では恐ろしい病気だ。

実は今回、タイムカプセルの集いに来た者は学年の半分にも満たない。
都合がつかなかった人、その存在自体を忘れていた人も当然いるだろう。
だが、精神的な理由で「来られなかった」人も少なからずいたのではないだろうか。
実際、私も行こうかどうか迷っていたくらいなのだから。
それに、来なかった友達の中には、小学校時代にあまり良い待遇をされていなかった人が含まれていたのも気になるところだ。

同じ精神的苦悩を抱えている中でも、私なんかよりずっと苦しんでいる人達が大勢いる。
小学校時代は人気者で、今も良い友人や先生、家族に恵まれている私は、少なくとも不幸とは言えない。
だからこそ私は、ここから復活し、人生を謳歌しなければならない立場に居るのだと思う。


余談
私の小学校および実家は浦安。
液状化の影響で、震災地に認定された地域である。
母校と実家の方はそれほどの被害でもなかったが、大きく傾いてしまった知人の家もあった。
飯能の方は全く何とも無かったため、感覚が麻痺していた面もあった。
身近な所に被害があったことで、この度の地震の大きさを改めて実感させられた次第である。
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